vol.8 どうして来てくれないの?
- 2019年09月26日
- 所長の学び
これは半年ほど前の話になります。
イロハニトイロを利用してくれているメンバーからこんな言葉が聞かれるようになりました。
「イロハニトイロっていいところ」
「私にとって大切な場所」
「死にたいくらい辛い夜もここがあると思うから乗り越えられる」
「ここに来ると元気が出る」
「ここはしんどいときでも来られるのが嬉しい」
などなど嬉しい言葉が聞かれるようになり、 僕は、メンバー達にとってちゃんと必要な場所が出来ていっているんだなと少し満足気な気分になっていたんです。
あー、もう!毎日大勢の人が来てしまったらどうしよう?
なんて想像しながら、自分が理想としていたことが間違いじゃないということを実感し始めていたのでした。
ところが、ところが、
あれ?
なんで?
なぜか休む人がとっても多いんです。
今日もこれだけしかいないの?
あれ?
「ここが大切な場所」だと言ってくれていた人も、もう2週間も休んでるよ。
なんで?????
やっぱり病気のせい?
う~~~ん。分からない。
メンバー達の言葉が本当なら、もっとここに来られるはずだよね。
しんどいときこそ、ここに来たくなるんじゃなかったの?
やっぱり、僕に話してくれた言葉は上辺だけのもので、金村を喜ばせるためのリップサービスだったの?
まだまだ本音を言えていないのかなぁ?
いやいや、もしかすると僕の知らないだけでとっても無理をさせてしんどくさせてしまっているのかなぁ?
こんな風に日々悩んでいた時期がありました。
たまたま他の作業所さんのお話を聞く機会があり、
その作業所の話だと、自宅まで送迎に行っているということでした。
だから欠席も少ないとか。
ほとんど毎日定員に近い人数が来所しているそうです。
そっかぁ、やっぱりそれくらいのことをしていかないといけないのかなぁ。
そうやってしながら、毎日作業所に来られる習慣をつけていってもらわないといけないのかなぁ。
そんな風に考え始めていた時でした。
いや、 これはやっぱりメンバーさんたちに話を聞こう!
イロハニトイロは大切な場所だと語ってくれた人たちにちゃんと聞いてみよう!
そう思いました。
はい!
ここからが僕の大きな大きな学びとなりました。
そしてこれまでのモヤモヤが一気に消し飛ぶことになったのです!
僕はこんなことをあるメンバーに訊いてみました。
「皆さんイロハニトイロがとてもいい場所だと言ってくれます。しんどい時こそ来られる場所だと〇〇さん(あなた)も言ってくれていましたよね。 なのに、休む人が多いんですけど、どうしてなんでしょうか?
しんどくても来られる場所であるなら、もっと来てもいいような気がするんですけど。」
すると、こんなことを話してくださいました。
「イロハニトイロの良いところは無理強いしないところ。
私は、いつも作業所に行くか行かないかの選択をしています。以前の私は“仕事に行かなければ”という思いで自分を奮い立たせながら行っていました。でもその結果どうなったかというと、病気は悪化して結局退職することになったんです。頑張って仕事に行こうとして仕事に行けなくなったなんておかしな話なんです。
今は、無理をしないようにしようって意識しているんです。前と同じことにならないようにしようって。イロハニトイロはそういうことをさせてもらえるところだって感じているんです。
だから私たち精神の障害を持っている人間にとって“待ってくれること”はとてもありがたいことなんです。」
この際です。
僕はもっと突っ込んで訊きました。
「でも大抵の施設や支援者って、継続して通える事を支援しますよね。
どうしたら通えるようになるのかって考えます。
そうやって考えると何をするかというと、通いやすいように環境を調整したり、時に言葉で励ましたりしながら継続して通うことを目標に支援していくことが多いと思うんです。
それこそが支援だと思い込んでいると思うんです。今の僕もそうかもしれない。
特に就労支援となるとその要素が強くなる気がします。
その辺りはどう思いますか?」
少し口調が強くなって答えます。
「それです!そこが私たちはしんどいんです。!
結局こっちの気持ちなんて考えていない!継続して通える事が正しい、という支援者の考えを押し付けてきているだけ!
そりゃ休まず通えるのがいいに決まってるし自分だってそうしたいと思っています。でもできなくて苦しいのに、またそんな分かり切った正しさを押し付けてきて、自分のできなさを突き付けられている気がするんです。
やっぱりこれは病気になった本人にしか分からない感覚なのかもしれません。」
さらにさらに僕は突っ込んで訊きます。
「他の作業所さんでは自宅まで送迎に行くということを聞きました。
確かにイロハは遠いから、行きたいと思っても、実際行こうとすればいくらかのエネルギーを必要とすると思うんですよね。しんどい電車に乗ったりとか。
でもその点、自宅まで迎えに来てくれたら、少しのエネルギーで来ることが出来るし、電車などのストレスも軽減されます。ちょっと行きたくない日でも迎えがあると思うと重い腰も上げやすいと思うんです。
そして、とにかくそうやって来てくれていたら最初はしんどくても、活動しているうちに元気になったり、日々通っているうちそれが習慣になって生活が整ってきたりすることもあると思うんですよね。」
口調がどんどん強くなってきます。
「結局それは“やらされている”なんです。
迎えに来てくれる人、促してくれる人がいないとできない自分を育てられているようなもんなんです。
本当はそんなんじゃ意味がないんです。
大変かもしれないけど自分の意思と力で通えるようになって初めて意味があるし、それが自分の成長となるんです。
自分で動かないと本当は意味がないんです。私はそう思っています。」
これらの話を聞いて僕はとっても納得しました。
そして最後に尋ねてみたんです。
「そう思うと支援者の役割って何だと思いますか?」
その返答が以下の事でした。
「待ってくれること
何もしないこと
寄り添ってくれること
関心を持って温かく見守り、こちらが助けを求めた時にその手を掴んで欲しい。
本当に助けが必要な時、すぐに求められる関係や距離を築いて欲しい。」
そんなことを語ってくださったのでした。
もちろん他のメンバーの方々にも同じように訊いてみました。
表現こそ違えど、言いたいことは同じような事でした。
僕はこの対話の中で大きな学びをいただいたと思っています。
僕が悩んでいた事って結局は自分目線の一方通行な考え方だったんですよね。
「あなたの為」と思いながら本当は相手の為になっていない、自分の満足の為の支援だったんです。
そして、僕の気持ちもスッキとし、より強く支援についての考えが固まりました。
うんうん。
やっぱりそうだよな。
“本当の支援とは支援しようとしないこと”
僕が支援しようとした途端に、それは支援じゃ無くなってしまうんです。
支援しようとせずにできていることが本当の支援に繋がっていくんです。
日々、
「あちゃー、また自分の価値観押し付けちゃったよ。何してるんだろ。」と自分の行動に反省です。
こうやって少しずつ本当の支援が出来るように成長していきたいと思います。
最後に
その後どうなったかという不思議な体験を。
そう。
僕の気持ちがスッキリした途端に、来所者が一気に増えたんです。
え~~~~~っ!!!
どういうことっ!!!
本当に不思議な体験です!
それだけ自分の意識が、現場に影響を与えているのかもしれません。
きっと「なぜ来ないんだ!」と思っている時は、知らず知らず相手に負担を与えるような言動をしていたんでしょうね。
気持ちよく休ませてあげられていないかった。
休む気持ちに寄り添えていなかった。
そんな反省もしたのでした。
メンバーの皆さん、
いつもいつも深い学びをありがとうございます。